神社に行くとNFTが買える?NFTコレクション「KAMIYO 〜神代〜」について解説!

エヌエフティー_神代

現在、NFTコレクションは数千点〜数万点の作品を販売する「ジェネラティブ」と呼ばれる形式が主流になっています。

日本ではCNP、CNPJなどがその代表作ですが、その他にも新しい作品が次々と生み出されています。

この記事では、ジェネラティブNFTコレクションの1つである「KAMIYO 〜神代〜」について解説します。

KAMIYOは2022年10月29日にリリースされたばかりのコレクションです。

日本のクリエイターチームである「古事記project」が運営していることや、ホワイトリスト(NFTの優先購入権)の入手方法が非常に独特なものだったことから話題になっています。

ぜひ最後までお読みいただき、KAMIYOの面白さを知っていただければ幸いです。

「KAMIYO 〜神代〜」と「古事記project」

出典:古事記projectくりぷと!

KAMIYOは、古事記や日本神話を題材にして様々なエンタメコンテンツを作っているクリエイターチーム「古事記project」が運営しているNFTコレクションです。

販売点数は13,888体、初期の販売価格は0.001ETH(約230円)でリリースされました。

古事記projectは2017年から活動しており、これまでにもボイスドラマやミュージックビデオを多数制作しています。

NFTプロジェクトはチームのエンタメコンテンツ制作の一環と位置付けており、KAMIYOが3作目にあたります。

KAMIYOの前には、1点物の作品である「KOJIPRO-GODz」、各種メディアでも取り上げられて話題となった「検見川神社お守りNFT」を販売してきました。

多様化するホワイトリスト獲得方法

最近のNFTコレクションは、優先購入権であるホワイトリスト(昨今は「アラウリスト」に名称が変わりつつあります)の配り方に工夫を凝らすものが多くなっています。

その理由は、ホワイトリストを無差別に配りすぎると短期トレーダーが集まってしまうためです。

初期販売で安く購入したNFTを早期に転売して売り抜ける短期トレーダーの存在は、プロジェクトの価値の向上(=価格上昇)にはマイナス要因として働きます。

そこで、どのプロジェクトも「何らかの形で自分たちのプロジェクトに貢献してくれている人」に対してのみ、ホワイトリストを配る傾向が強くなって来ました。

そしてKAMIYOも、ホワイトリストを無差別にばらまくことはせず、一定の獲得基準を満たした人だけに配布したのですが、その獲得の基準が非常にユニークなものでした。

KAMIYOのホワイトリスト獲得方法は、具体的に以下の4つがあります。

  • 神社 to ミント
  • 盛り上げて to ミント
  • 村上 to ミント
  • MV(ミュージックビデオ) to ミント

いずれも一風変わった方法ですが、この中でも古事記や日本神話を題材にしている古事記projectらしい「神社 to ミント」について掘り下げて解説します。

新たなNFT入手体験「神社 to ミント」とは?

出典:古事記projectメンバー ナナゼロさんのツイート

神社 to ミントは読んで字のごとく、「神社に行くことでNFTのホワイトリストがもらえる」というとても斬新な体験でした。

具体的には、現実世界の神社に足を運んで参拝し、神社であることがわかる写真(鳥居や本殿など)を所定のハッシュタグと共にTwitterに投稿します。

その後、ツイートした旨をDiscord(NFT関連のコミュニティが運営されているチャットツール)のコミュニティに投稿することでホワイトリストがもらえるというものです。

神社 to ミントでホワイトリストを獲得した人の多くは、神社を訪れた写真と共に「自宅近くに神社があったことを初めて知った」「自分の生活圏内に多くの神社があることに驚いた」「これを機に今後も神社を訪れる機会をつくりたい」といった感想を述べていました。

古事記projectは「推し神様」の文化を作ることを目指しています。

いま流行りの「推し活」のように自分のお気に入りの神様を見つけて、その神様を「推す」ということです。

そこでまずは、多くの人に神社や古事記、日本神話をより身近なものに感じてもらうために神社 to ミントの施策は用意され、結果的に多くの人が神社に足を運ぶことにつながりました。

これからのNFTコレクションは、単に「かわいい・かっこいい」だけのデジタル画像を売るのではなく、それぞれのプロジェクトが実現したい目標を達成するための1つの手段であるとも言えます。

「推し神様」の文化を作ることを目標としている古事記projectが実施した「神社 to ミント」は、十分にその目的を果たしたと言えるのではないでしょうか。